その他の庭・建物
桂離宮
江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。
離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、日本庭園の傑作とされる。
また、建築物のうち書院は書院造を基調に数寄屋風を採り入れている。庭園には茶屋が配されている。
仙洞御所(京都御苑)
仙洞御所(せんとうごしょ)は、譲位した天皇(上皇・法皇)の御所。仙洞とは本来仙人の住み処
予約して見学してきました(季節外れだったので、すぐに予約できました)
修学院離宮
修学院離宮は上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼び習わす
3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。
島原(輪違屋・角屋)
島原は1641年官命により移されました、この騒動が島原の乱を思い起こさせたので、
島原となりました
公許遊廊島原の正門には島原大門があります
輪違屋は、揚屋と置屋を兼ね備えた現役の店で、日本で唯一「太夫」が居る所です。
太夫は「こったい」とも呼ばれ、正五位の位を持ち十万石の大名に匹敵するとされるほど格が高く、
また教養も深かったことから、客の方が太夫の機嫌をとったと言います
角屋は、揚屋でした、
揚屋とは、芸妓などは抱えずに遊興の場所を提供する店の事で、現在の料亭のような存在でした。
この揚屋から遊女を抱える置屋に差紙と呼ばれる招請状を出して太夫を呼ぶのですが、
この途中、内八文字を踏んで歩く様子を「太夫道中」と言います
嶋原商店街 木造3階建て
顔の家
平安神宮
社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したもの
西本願寺伝道院
もともとは生命保険会社でした
東福寺・東司
百雪隠(トイレ)
古い銭湯
船岡温泉
船岡温泉は1923年(大正12年)に木造2階建ての料理旅館「船岡楼」の付属浴場として営業を開始しました。
その後、当時は温泉の出なかった京都でなんとか「温泉」の許可が取りたいと考えた2代目が、
1933年(昭和8年)に日本で初めて電気風呂を導入し「特殊船岡温泉」として許可を受けました。
戦後間もない1947年(昭和22年)に本格的に銭湯として営業を始め、現在に至っています。 京都銭湯界の真打登場です,
鞍馬口通り沿い。
大正、昭和と受け継がれた歴史風情を感じる銭湯建築は
国の登録有形文化財。
唐破風の屋根、格天井と呼ばれる立派な高い天井、
和製マジョリカタイル全面張りのアンティークと呼ぶにふさわしい店内です
築80年の銭湯旧藤の森温泉をリノベーションし、
さらさ2号店として2000年に「さらさ西陣」をOPENしました。
京都御所からすぐ。大正8年創業歴史ある銭湯、桜湯 大正8年から続く歴史ある銭湯。
最大の特徴は、浴室に巨大な水槽があり、ニシキゴイが何匹も泳いでいること。
さらにサウナ室(ミストサウナ)はガラス張りで、中へ入るとジャズボーカルが流れている。
なんか異次元に来たような気持ちになる。
6京の台所・錦市場に位置する,創業95年の名物銭湯・錦湯が突然閉業した
2週間前に突如玄関に張り出された
ツアーでさよなら錦湯スペシャルツアー!に行った様子です
雨庭(あめにわ)
雨庭とは一時的,地上に降った雨水を下水道に直接放流することなく、一時的に貯留し
ゆっくり地中に浸透させる構造を持った緑地のことです
雨水に流出抑制や、修景。緑化、ヒートアイランド現象の緩和などの効果が期待されています
京都の寺社では、雨庭機能を取り入れた美しい庭園が古くから造られてきました
四条堀川交差点西北角 雨庭
雨水を地中に浸透させやすくするために、植栽の周辺に、白い砂利などを敷き詰めた州浜(すはま)を設けました
砂利など深いところでは、30pの厚みがあり、雨水を一時的に貯留しておくこともできます
また、式を感じられるよう、様々な種類の植栽が植えられています
庭機能を取り入れました
四条堀川南東
四条西大路
御所
京都御苑 間之町口(南西の門)を入った西側
六波羅密寺 南西
九条烏丸
花山天文台
旧三井家下鴨別邸
庚申堂
洛中三庚申(八坂庚申堂、山之内庚申堂(猿田彦神社、粟田口庚申堂)
現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、
仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰(民間信仰)や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である
庚申の日にお祭りが行われる(庚申の日に徹夜して眠らず,身を慎めば長生できるという信仰)
東菜菜館(中華料理)
今も活躍する日本最古のエレベーターで個室・宴会場・一般客席等のレトロな客席
長楽館(円山公園)
長楽館は明治四十二年(一九〇九)“煙草王”と呼ばれた実業家村井吉兵衛により
国内外の賓客をもてなすための迎賓館として建築されました。
聖母女学院
外観は古典様式の意匠でまとめられており、室内の装飾は簡素ながらも、
天井の真飾りや各部屋で異なる暖炉の装飾、階段の意匠など、
随所にさまざまな趣向が凝らされています。
1908(明治41)年8月に、陸軍第16師団司令部の庁舎として建てられたこの建物は、
戦後、平和を心から愛する当学院に払い下げられました
2016年2月25日には、国登録文化財(有形文化財建造物)に指定されています。
。
メインに戻る