京都の通り
平安京は東西4.5km、南北5.2kmあり、40丈(約120m)四方の「町」が小路、大路で区切られ、
町が4×4=16集まった単位で構成されていました
道幅は、小路で4丈(約12m)、大路では8丈(約24m)以上あって、朱雀大路に至っては28丈(約84m)もあったといいます
南北の通りで朱雀大路(幅73m)
大路は 西京極 木辻 道祖 西大宮 香嘉門 朱雀 壬生 大宮 西洞院 東洞院 東京極
京の通り名わらべ唄
鞍や寺 上立五つ 今や元 | 鞍馬口 寺之内 上立売 五辻 今出川 元誓願寺 |
武一 中立 長者三通り | 武者小路 一条 中立売 上長者町 中長者町 下長者町 |
出水下 椹木 | 出水 下立売 椹木町 |
丸 竹 夷 ニ 押 御池 | 丸太町 竹屋町 夷川 二条 押小路 御池 |
姉 三 六角 蛸 錦 | 姉小路 三条 六角 蛸薬師 錦小路 |
四 綾 仏 高 松 万 五条 | 四条 綾小路 仏光寺 高辻 松原 万寿寺 五条 |
雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚 | 雪駄屋町(現 楊梅通) ちゃらちゃら(鍵屋町) 魚の棚(現 六条) |
花屋 正面 北小路 | 花屋 正面 北小路 |
七条 こえれば 八 九条 | 七条 八条 九条 |
十条 東寺で とどめさす | 十条 |
東西の通り
寺 御幸 麩屋 富 柳 堺 | 寺町 御幸町 麩屋町 富小路 柳馬場 堺町 |
高 間 東 車屋町 | 高倉 間町 東洞院 車屋町 |
烏 両替 室 衣 | 烏丸 両替町 室町 衣棚 |
新町 釜座 西 小川 | 新町 釜座 西洞院 小川 |
油 醒井で 堀川の水 | 油小路 醒井 堀川 |
葭屋 猪 黒 大宮へ | 葭屋町 猪熊 黒門 大宮 |
松 日暮に 智恵光院 | 松屋町 日暮 智恵光院 |
浄福 千本 さては西陣 | 浄福寺 千本 |
太子道 2013年02月21日、
広隆寺への参詣道として使われていたことから、「太子道」と呼ばれていた
太子道は、千本通りの出世稲荷までの小道で
広隆寺近くは三条太秦商店街となっている
しかし地図には太子道となっています
この道を東に行くと木島神社(三柱鳥居で有名)の前を通ります
天神川を越えると、北に上がり、二条通りを超えた北側の通りが
太子道です
(太子道の南方に新道が敷かれ、「新しい」二条通と言われた?
そこで古い二条通にあてられたのが「太子道」だそうでする)
西大路通りを過ぎ、御前通りあたりから朱雀二条商店街となります
やがて、千本通りの出世稲荷です
(資金難で大原に移転し、現在はマンション バス停名称は千本旧二条に変わりました)
帰りに、二条陣屋の前を通って帰ってきました
二条陣屋は改修が終わっていました
結局、どこからどこが二条通りで、三条通りはどこか、
太子道との関係はよくわかりませんでした
新町・北上 西洞院・南下 2012年06月20日
台風一過 秋晴れではなく、梅雨の合間の曇り空です?
新町通りを北上して、西洞院を南下するというコースです
新町通りは北は玄以通(げんいどおり)から、南は久世橋通までです
西洞院通りは北は武者小路通りから南は十条通りまでです
玄以通から、 武者小路通り間は、油小路、小川通りを下ります
(2012年06月07日に新町の南側は行っています)
新町通りの御池から四条は祇園祭の巡行コースです
古い商家が並んでいますが、今出川通り以北は新しい街です
西洞院通りは、道の西側に西洞院川と呼ばれる河川が流れていたが
現在は全て暗渠となっています
このため、四条から南は道路が少し低くなっています
かつては 西洞院通り?の塩小路 - 四条間を京都市電 堀川線が通っていました
室町通・新町通 南下 2012年06月07日
室町通りは北山通りから久世橋通りまで
新町通りは玄以通(北山通りの少し上)から久世橋通りまでです
2012年04月21日に室町通りを北山通りから四条通りまで
歩きましたが、
今回は、南に久世橋通りまで歩き、帰りは新町通りを北上して
帰ってきました
七条から北は京都らしさがありますが
南は通りの数え唄にあるように(七条越えれば通りに名無し)
京都らしい町並みはありませんでした
朝方に、南北に歩くと日にあたらなくて歩けます
室町通り2012年04月21日
室町通りは北は北山通りから、南は久世橋通りまで続く、烏丸通りの西側の通りです(約10km)
室町幕府にゆかりの通りです(一帯は,室町幕府三代将軍足利義満が造営した花の御所があります)
歴史を探りながら、北山通りから高辻通りまで南に歩きました
A地下鉄の北大路で降り、賀茂川まで行くと、
B半木(なからぎ)の道(下鴨神社の横・鴨川の土手)の満開の桜を見て
北山通りに出ると、ここから室町通りのCスタートです
少し、室町通りを下り、鞍馬口通りから東に行って
D上御霊神社の鳥居横にある花御所八幡宮跡の石碑(実際とは異なる場所にある)を見て、神社にお参りし、
上御霊神社の南側にEいろいろな色の花がついた桜を見ました(珍しい)
烏丸通りに戻り南下して、F大聖寺に行き、境内の花御所の碑を見て
室町通りに戻り、室町病院の駐車場にある道標と「このあたりに室町幕府があった」とかかれた石碑を見て
今出川通りまで来ると、H「従是東北?足利将軍室町第址」の石碑があります
花の御所(はなの ごしょ)は、烏丸通・今出川通・上立売通・室町通に囲まれた足利将軍家の邸宅の通称
さらに南下すると、I本田味噌本店(創業180年)の前を通り、少し下がると、J富岡鉄斎邸跡の碑があります
さらに下がって、平安女学院の角にK旧二条城跡の石碑があります(織田信長が造った)、
学校の南側に、L足利義輝邸 遺址があります
二条通りの角に?三井グループの元となったM越後屋呉服店の京都本店の跡の屋敷跡があります
少し南に、和歌連歌で著名なN二条良基の邸宅の跡?があります
さらに南下して、四条通りの少し北に菊水鉾の由来となった
O菊水の井の跡があり、四条を越えて、鶏鉾の近くに盲人の箏曲家のP八橋検校道場跡があります
寺町2012年01月12日
寺町通りを(紫明通りー五条通り)北から歩いてきました
豊臣秀吉による京都改造によって寺院が集められたそうで、次々と寺院が現れます
ほとんどの有名なお寺は、行ったことがありますが
寺町通りとして、まとめて参拝したのは初めてです
まず、上善寺( 京の六地蔵の一つの「鞍馬口地蔵」)へ
すぐ南の 天寧時(額縁門)門から比叡山が望めます・雪の比叡でした
続いて、阿弥陀寺 (織田信長公本廟)へ
少し下がって、誓願寺内の十念寺へ、ここの本堂は変わった建物です
今出川通を越えて、蘆山寺(紫式部邸跡)を通り、
丸太町通を越えて行願寺(西国33箇所の19番札所)へ
次に、御池通を越えて、三条通りから新京極通に入ります、ここに本能寺があります
続いて、矢田寺(矢田地蔵尊)、誠心院(二十五菩薩像と水かけ行者がある)、
永福寺(蛸薬師)におまいりしました
最後に、四条通りの手前の染殿地蔵にお参りしました、ここは林万昌堂からも行けます
千本通り(鷹峯から七条通り) 2014年6月12日
千本通りは、北は北区鷹峯から南は南区上鳥羽までで、七条通と八条通間は(JRのため)中断
平安京の道幅約85メートルの朱雀大路(朱雀大路は、朱雀門(二条通り)から羅城門 (九条通り北)まで)にあたる。
船岡山西麓の葬送地への道に千本の卒塔婆を建て供養したのが通り名
鷹峯から七条通りまで7.7km
千本通り南 (旧千本通り)2014年9月10日
新幹線で分断されてた千本通りは、旧千本通りと新千本通りに分かれます
九条千本は羅城門のあったところです、(羅城門後の石碑)
また角には矢取地蔵があります
ここから南に行くと六地蔵の一つの鳥羽地蔵(京への入り口)があります
城南宮道で終わりです、ここからは鳥羽作道となり、八幡の方に続きます
大宮通り 2014年6月16日
大宮通りは、北は鹿ノ下公園(北区西賀茂榿ノ木町)南側を、南は久世橋通まで
平安京の大宮大路(東大宮大路)に当たる
二条城は途切れているが迂回して12KM
八丁柳(八町柳)佐井通り 2015年12月06日
北山殿の南の惣門(北区衣笠惣門町)から平安京一条通りの1kmが八丁柳と呼ばれる通り
南端には大楼門が建てられていた
「北山新都心」の南の境界は、一条大路にあった「一条大門」です。
この大門の所在地は、現在の一条通と佐井通が交差する地点です。
そして、この大門から八町分(約970m)北へ上がると北山殿の惣門に着き、一条大門から惣門にかけての八町分の道は「八町柳」とよばれていました。
「八町柳」という名は、その名の通り、柳が植えられていたことから、平安京の朱雀大路になぞらえられていたのかもしれません。
松原通り(清水寺ー西院) 2018年1月23日
松原通りは、秀吉の前までは五条通りでしたが
秀吉により、現五条通りに代り、松原通りと改称されました
松原通りは5.6Kmでした
衣棚(鞍馬口通りー六角通り) 2018年6月28日
豊臣秀吉による天正の地割で新設された通りで
新町と室町通りの間にある
鞍馬口通りと六角通りの間、約3.5kmです
天正地割は、京都の通りは南北東西約120mのため
中心部分が空き地となるので、南北に中間に道を作った
六角通り、四条通り、高辻通り、
高倉通りから烏丸通り、新町通りの間は
間の通りは作られなかった
姉小路通りと三条通りの間に突抜町という町がある
油小路と小川通り 2018年12/09
北は竹殿南通から南は城南宮までで、京都市内の南北路で最長
南は高辻通りから、北は妙顕寺まで歩きました
後院通(こういんどおり)
京都で珍しい、斜めの道
市電を通すために作られた道
千本通りの商店が、市電を通すための拡幅に反対したため
東本願寺前の烏丸通り
本願寺の門前(烏丸通り)を市電が通ることになり、
参詣客が門を出たとたんに市電と鉢合わせするということで
本願寺前の通りは不明門の通りまで迂回することになりました
高辻通り
河原町高辻から梅津段町の南まで東西の真っすぐな通りです
7kmあります
途中、阪急京都線の踏切(歩行者用)があります
冷泉通り
哲学の道の南端から、平安神宮の前を通り、夷川発電所の横から、鴨川までです
小川通り
北は紫明通から南は錦小路通まで、4.1Kmです
仏光寺通から南を東中筋通と呼び、
高辻通りから南は、ユニークな通称「天使突抜通」(てんしのつきぬけどおり)といいます
天使突抜
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は都市改造計画を打ち出しました。
人口の少ない地区に新しく区画を設ける為に上京から下京へ何本かの大きな通りを通しました。
そうして作られた上京ー下京間の新たな通りを「突抜」、そこに成立した町を「突抜町」と呼んでいました。
途中にあったのが古くからの神が祭られている由緒ある神社「五条天神宮」でした
義経と弁慶が出会った場所として知られているこの五条天神は天使様とよばれ当時の人々に親しまれていたのですが、
道を境内に無理やり通してしまった為「天使様を突き抜けてまで道を作るのか!」と怒り、皮肉の意味を込めて天使突抜と名付けました。
三条通り(京都で一番長い通り)
山科区四宮から右京区の嵐山(渡月橋)に至る 約15km
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