牛若丸誕生から義経首途(かどで)
牛若丸誕生の地・常盤井(2012年12月16日)
北山通り近くに、牛若丸誕生にまつわる遺跡が 多くあります
船岡東通りには「牛若」というバス停があります
この通りの東側には、牛若通り、その東には牛若東通りがあります
まず、非公開の常徳寺(常盤御前が安産祈願したといわれる常盤地蔵があります)に行ってみました
北山通りの南側は筑紫牛若町という町名です
ここから、牛若丸誕生井の碑を見てきました
この碑の後ろの畑の中に、牛若丸胞衣塚がありますが
私有地で入れません
つづいて、源義経産湯井の遺址碑を見てきました
帰りに、常盤井(常盤御前が用いたと伝わる小さな井戸)を見てきました
源義経産湯井の遺址碑の東の牛若通りの東側に本牛若町という石碑がありました
鞍馬での修行
息つぎの水、修行時代の義経が、奥の院にけいこに通う途中でのどをうるおしていたと伝わる水です
背比べ石(せくらべいし)、奥州へ下る牛若丸が名残を惜しみ背を比べたといわれています
義経堂(よしつねどう) 源義経は平家を滅亡させたのち、兄の頼朝に憎まれ、悲劇的な最後を遂げました。
しかし、その魂は鞍馬山に帰ったと信じられています
木の根道 鞍馬寺本堂の裏山を越えて貴船神社に至る道
義経首途(かどで) 牛若丸第2弾(2012年12月19日)
妙心寺前から、妙心寺の南側の木辻商店街を東に行くと
願王庵があります、ここに義経首途地蔵がありますが
御堂の中で見えません
義経は、まだ牛若丸と呼ばれていたころ、奥州へ出立します
出立にあたり、旅の安全と宿願成就を地蔵尊に祈りました
少し東に行くと、牛若丸首途の井があります
(旅立ちに際して、その姿を映したといわれる)
神部の宿は、神部さんという方の宿だそうです
次に、首途八幡宮(智恵光院今出川上る)に行ってきました
源義経が奥州平泉に赴くに際し、道中の安全を祈願して出立したといわれる
この八幡宮は、何度か前を通ったことがあります
牛若丸奥州へ旅立ち(2012年12月23日)
まず、粟田神社の摂末社である、出世恵美須神社に行ってきました
奥州下向時に旅の安全祈願に参拝したそうです
つづいて、インクラインの一番上のインクライン公園にある
義経大日如来に行きました
義経(遮那王)がこの蹴上付近で、平家の武者9人と遭遇し
馬上の武者たちは水たまりの水を蹴上げ(蹴上の由来)、
義経一行に詫びようとしない
怒った義経は武者たちを次々に斬り倒した
義経は後に自分の行いを反省し、
9体の地蔵を祀って武者たちを供養したという。
日ノ岡峠付近で大日如来(義経ゆかりの9体仏)と地蔵尊にお参りしました、
続いて、山科です
義経が奥州平泉へ下る途中、盗賊におそわれ、盗賊を切り殺し、
その血に染まった刀を小さな池で刀を洗ったため、
この付近は血洗町というすごい地名になったそうです
血洗い池はほんのわずか残っているそうですが
義経が腰を掛けた腰掛石と共に京都薬大のグラウンドの中にあり
グラウンドの周りを回りましたが、見れませんでした(グラウンドの中から行かないとダメみたい)
写真はコピーです
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