竹田城(朝来市和田山町)、備中松山城(高梁市)、八幡山城(近江八幡)、安土城(安土)、観音寺城(安土)、   
岩村城(恵那) 、苗木城(中津川)、犬山(岐阜)、郡上八幡城(岐阜)、岐阜城(岐阜)、赤坂城(大阪府),大和高取城(奈良),   
鬼ノ城(総社市)、岡山城、天王山城(京都府大山崎)、小谷城(長浜市)、姫路城(修復終了)、伏見城・遺構,
大野城(福井県大野市)、丸岡城(福井県坂井市)、二条城、彦根城、坂本城、淀城、勝龍寺城、福知山城、
一乗谷朝倉氏遺跡、嵐山城跡、霊山城跡、松江城

日本三大山城
城郭名所在地海抜比高解説
大和高取城奈良県583m390m比高が一番高い
備中松山城岡山県480m340m建物が現存する中で最も高いお城
美濃岩村城岐阜県721m150m海抜が一番高い


国宝5城、「松本城」、「犬山城」、「彦根城」、「姫路城」、「松江城」

現存12天守、国宝5城と 弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、伊予松山城、宇和島城、高知城

比高とは、麓から本丸までの高低差で大きいほど一般的難攻不落と考えられる。

四国九名城(徳島城、高知城、宇和島城、大洲城、松山城。湯築城、今治城、丸亀城、高松城


竹田城(朝来市和田山町)標高 353m 比高 250m
日本のマチュピチュと言われています

 

備中松山城(高梁市)標高 480m 比高 340m

 標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、国の重要文化財で、
現存天守を持つ山城としては最も高い所にある
1683(天和三)年に水谷勝宗によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になりました。

雲海に浮かぶ松山城(備中松山城展望台)
雲海が発生する時期は、10月下旬〜12月上旬の早朝には濃い朝霧が期待できるそうです
10月31日朝6時半ホテルを出発して7時前に展望台へ


八幡山城(近江八幡)標高 283m、比高 100m


安土城標高199m、比高110m
 

観音寺城(安土) 標高432m、比高350m


岩村城(恵那) 標高721m、比高150m  石垣がきれいに残っています

本丸が諸藩の居城中最も高い海抜717mに位置しおり、日本三大山城の一つに数えられている。


苗木城(中津川) 標高423m、比高126m  巨岩を利用して、作られています


犬山(岐阜)  国宝、個人所有だったことでも有名


郡上八幡城(岐阜)




岐阜城(岐阜)

岐阜城は、ロープウェイで上がっていきます
城は鉄筋コンクリートです



赤坂城(大阪府)
千早城は千早赤阪村にあり、金剛山の登り口です、城跡はあまり残っていない、標高673m、比高175mです


大和高取城(奈良)

標高580m 比高390mで比高が日本一です
この城の特徴は武家屋敷も山城の中ににあるので、城の規模が大きいことです
土佐の人が連れてこられて、築城したので、土佐ノ城とも言います
この城は明治20年ごろに写真に撮られています、この写真をもとにCGでお城が再現されています






鬼ノ城(総社市)(山崎) 標高397m・比高310m
鬼城山(きのじょうざん 標高397メートル)に遺る神籠石式山城
鬼ノ城は古代の歴史書には登場しないが
後世の文献には出てくる(百済の王子が備中の新山に居城を構えた
この城が修復されだしたのは2-3年前からだそうです
石垣や土塁で囲まれており、周囲は2.8kmある、比高310m
古代山城で、4か所に大きな門の跡がある
この山には水源が多く池から水を流す水門が六か所ある
西門の飾りは盾で、当時の様子の再現です
鬼ノ城2(日本の石垣は複雑に組上げられている)
石垣の積み方は並行で、百済の積み方である
 

岡山城(烏城)


天王山城(京都府大山崎) 標高270m・比高240m


小谷城(滋賀県長浜市)標高495m 比高約300m
河毛駅から戦国ガイドステーションへ
ここから小谷城を目指して上ります、黒金御門跡、桜馬場跡、大広間跡、本丸跡から大堀切を迂回して
京極丸跡、山王丸跡から、清水谷を下りてきました
小谷城は浅井家(3代目の妻がお市:信長の子)です
小谷城は、戦国時代屈指の山城で、
18の曲輪(くるわ:城や砦の周囲にめぐらして築いた土石の囲い)を配置した要塞
家臣の屋敷は、清水谷の下の方にあります
よくこんなところに、城を築いたものです
城壁は、ほとんどが土でできており、
石垣は近くからとれた 石を積み上げてあるという感じでした
   

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姫路城一般公開前日(2015年3月26日)
 ブルーインパルスの祝賀飛行がありました
 
   

姫路城(2017年5月4日)
 姫路城の天守閣に登ってきました
8時過ぎに着いたのですが、長蛇の列、それでも、30分程度で、入場です
他の城とはスケールが違います


平戸城(長崎県)(2015年4月19日)
 昭和37年に復元


伏見城・遺構(2015年8月7日)


大野城(福井県大野市)(2016年4月19日)
天空の城で一番有名なのが、竹田城です
ここも天空の城で、南西の洪泉寺の裏山(標高325m:比高100m)から見てきました
道は整備されていますが、結構きつい登りでした
雲海の中の大野城は素晴らしいそうですが?
大野城も標高300m程度:比高70m程度です
大野城は、階段の道と上り坂の両方があります
現在の城は1968年に再建されたものだそうです
 

丸岡城(福井県坂井市)(2016年4月19日)
城は1576 年に建てられた平山城で重要文化財だそうです


熊本城(2014年10月03日)
2016年に地震被害にあいましたが、2014年に行った時です


二条城(2017年3月27日)「東大手門修復完成記念 特別公開」
特別公開 元離宮二条城 東大手門及び東南隅櫓
○東大手門(重要文化財)二条城の正門にあたり,
現存の門は1626年頃の建築と考えられている。
築城当時は現在のように櫓門(2階建て)であったが,
寛永の二条城行幸時に 天皇を2階から見下ろさないようにとの配慮から,
一重の門に建て替えられたと 言われている。
○ 東南隅櫓(重要文化財)後水尾天皇行幸に際し,建設された隅櫓の一つで,
西南隅櫓と比べ,一回り大 きく,1階の屋根に千鳥破風があることが特徴。
二条城には,外堀と内堀の四隅, 外堀北中央に計9棟の櫓があったが,
1788年の大火で多くが焼失し,
現存し ているのは東南隅櫓と西南隅櫓の2棟だけである
    

二条城は東に3度傾いていますが
二条城が建てられる700年以上前、桓武天皇によって、平安京が造営されました
この時北極星を目印に方位を定めて、碁盤の目の道を造営しました
その後、家康は、二条造営を行い、
最新技術として、西洋人が持ち込んだ方位磁石を使って調査しました
主磁場は数年から数百年の時間スケールで変化しています



南禅寺の三門の方位3〜5度東にずれていることが確認されたそうです

二条城の歴史
信長の二条御所(旧二条城)室町下立売(御所にまたがる)
信長の二条御新造(二条殿址)両替町御池上がる
家康の現在の二条城

長浜城(2017年4月15日)


虎御前山(2017年9月10日)
虎御前山城は、戦国時代、浅井氏の居城である小谷城を攻略するため、
織田信長が前線基地として築いた山城です
この山には8人の武将(柴田勝家、織田信長、木下秀吉など)
が陣を構えていました
この山はもともと古墳が多くあり、
現在では城か古墳か判断がつかないものもあります
それでも、石垣はなかったものの、土塁の跡はしっかり残っていました
   

小倉城(2018年4月104日)


彦根城(2019年04月11日)
姫路城、松本城、犬山城、松江城とともに国宝に指定されている
桜が満開でした


坂本城(2013年06月18日)
国時代に明智光秀(1528-82)が築城した城
城内に琵琶湖の水を引き入れた水城で、大天守と小天守を持っていた


淀城(2020年09月27日)
豊臣秀吉が、側室茶々の産所として築かせた淀城は 現在の位置より北へ約500メートルの位置にあった


勝龍寺城(2020年09月27日))
本能寺の変後の“山崎合戦”に敗れた光秀は、
この城に逃げ込み、最期の夜を過ごした


福知山城(2020年10月06日))
丹波国を平定した明智光秀が築城、
明智光秀は、由良川と土師川が合流し常に水害に見舞われていた城下町を守るため、
「明智藪」を築いたといわれています。
 

一乗谷朝倉氏遺跡2020年10月31日
戦国時代に朝倉氏五代が103年間にわたって越前の国を支配した城下町跡
武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘され、
国の重要文化財・特別史跡・特別名勝に指定されています。


嵐山城跡2019年12月14日
京都一周トレイルの嵐山から登って、トレイルの一番上(松尾山山頂)から少行ったところです
残ながら、石垣はほとんど残っていませんでした


霊山城跡2021年02月14日
京都一周トレイルの東山と清水山の間を西に進んだところです
立入禁止となっており、まともな道はありません
城跡は残っておらず、伊藤博文の碑があります
 


松江城2021年03月25日
国宝




松本城2021年10月15日
国宝


首里城・守礼の門2021年10月15日



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