京都の街道
渋谷街道(2011年01月11日
渋谷街道東2011年12月28日
旧山陰街道 2011年05月21日
鴨川遊歩道(南)2011年05月25日
宇治街道2011年09月07日
宇治街道(奈良街道)2011年09月10日
京街道 (樟葉ー中書島)2012年02月26日
水無瀬ー西国街道 2012年3月1日
宇治街道(近鉄大久保ー京阪墨染)2012年09月16日
山科本願寺(土塁跡)−大石神社ー大石街道 2012年05月03日
山崎から桂まで2012年04月01日
鞍馬街道(京都精華大ー上善寺ー自宅)2012年10月16日
水無瀬ー西国街道(山崎・久世橋)2012年03月01日
旧西国街道 2012年01月19日
太閤道 2012年03月20日
千代の古道 2011年08月28日,2013年9月7日
明智越え 2014年11月23日
伏見古道 2015年03月22日
山陰道・老ノ坂峠越 2015年12月13日
鴨川・牛馬用下り坂 2017年8月29日
旧東海道(追分ー三条大橋)2018年3月15日
竹田街道(中書島ー五条東洞院)2018年10月25日
京町通・師団街道 2019年3月19日

渋谷街道(2011年01月11日) 渋谷街道は、東山を越え京(京都)と山科を結ぶ京都市内の通りです 山科の外環状(駅の南方)から渋谷街道に入ります 真っ直ぐ西に歩いて、国道1号線(五条坂)に出て、花山トンネル横の花山洞(トンネル)[旧道]を抜け、 五条バイパスりの下を抜けて下っていくと、 馬町(東大路)の交差点に出ます、さらに西に行くと本町や大阪町というところに出ます
渋谷街道東2011年12月28日 山科駅から南下して、渋谷街道を東に歩き、(渋谷街道の西は東山通りまで・・終了) 宇治街道まで行き?ここから名神をくぐり、 明教寺、安楽寺、わらびの里を通って、 藁の大蛇(大蛇伝説を起源に、、豊作や家内安全を願って奉納)を見て、 天神社、妙見寺を通り、山科駅に戻ってきました
旧山陰街道 2011年05月21日 を沓掛から、桂を通って、帰ってきました 市バスを沓掛口で降り、西に進んで大枝神社にお参りし、 ここから旧山陰街道を東へ進みました 国道9号線を超えると 三宮神社の石碑があり、ここを南に行くと 三宮神社があります また、旧山陰街道に出ると、樫原陣屋跡(本陣)がありました この街道は古い家が残っています 阪急電車を超えて少し行くと、道標があり 「右西山御坊、大原」「左 ???」とありました さらに西に行くと、京の六地蔵(都の出入り口)の桂地蔵があり、 すぐに?桂離宮です
鴨川遊歩道(南)2011年05月25日 自宅から、京都駅経由、塩小路橋から淀まで行ってきました 塩小路橋から鴨川の遊歩道を南下し 勧進橋までは右岸(西側)を歩き、ここで橋を渡って左岸に出て下流に歩きました 勧進橋は平安時代に僧侶が勧進して作ったことに由来するそうです  (勧進とは堂塔 、仏像などの建立のために浄財を集めること) 名神高速道路をの下を通り、城南宮道と千本通り(鳥羽街道)の交差点に 旧小枝橋?があり、ここに鳥羽伏見の戦場跡の碑と道標があります また、河川敷に出て、南に行くと「鳥羽の大石」がありあます この石は、二条城修復のため瀬戸内海から水路を運ばれてきたものだそうです ここから、河川敷と並行して走る鳥羽街道(千本通)を納所(淀)まで歩きました
宇治街道2011年09月07日 宇治街道を北に上がってみようと思い、JR宇治駅に行きました ここから宇治川を渡って、下流に進み、土手の下に出ると、 太閤堤跡の石碑があります (太閤堤(たいこうづつみ)は、豊臣秀吉が伏見城を築城するときに、 物資輸送の運搬水路を確保するために、宇治川と巨椋池を分離させるために築いた石積みの堤防)京阪宇治駅に戻って、 道標(右三室道)を見て 、宇治街道を北に歩き始めました 源氏物語ゆかりの早蕨(さわらび)から「さわらびの道」と称する道に出て 宇治街道少し行くと、左三室戸寺、黄檗山の道標があります さらに2つの道標を見て、進むと 立派な長屋門を見つけました、次に厳島神社にお参りして、 京滋バイパスを陸橋で渡り、北に進んで、黄檗山萬福寺(2011年02月09日に行きました)の三門に出ました、 さらに北に進んで木幡から西に行き、木幡池(巨椋池の干拓で残った池)を見ながら、 伏見桃山御陵(御陵は明治天皇が祀られている)は何度も行った(2010年に2回)ので南側の道を西に歩き、 途中から北に上がって、桓武天皇陵の入り口を通って、丹波橋から帰ってきました
宇治街道(奈良街道)2011年09月10日 六地蔵から醍醐小野 まず、六地蔵から北東に進み、日野道に出ました ここから東に行くと、日野薬師(法界寺)(安産、授乳、子授等のご利益がある)に出ます さらに進むと日野誕生院(浄土真宗の開祖、親鸞聖人が生まれた場所)があります この近くに、萱尾神社があります 萱尾神社のあたりに「鴨長明方丈石」(鴨長明草庵の跡)まで500mという看板がありありました 結構坂を上がりましたが、よくこんなところに住んでいたものです、石碑がありました ここから合場川に沿って下っていき、醍醐中学の近くの一言寺(秘仏の千手観音は願い事を一言だけ叶える)に参拝して、 奈良街道に戻って、一言寺の道標を見て、醍醐に向かいました、 醍醐寺の南門から入って(桜のきれいなところ)、 三宝院の東側にある長尾天満宮を目指しました、長い石段を上ったところにあります ここから、また奈良街道に出て、赤間薬師の道標と弘法大師独鈷水(弘法大師が地面を突くと水が湧きだした)の道標を見て、 隋心院の前を通り、 地下鉄小野から帰ってきました
京街道(樟葉ー中書島)2012年02月26日 京街道を樟葉から中書島まで歩くために、京阪で樟葉まで行き、 京街道 ここから中書島まで歩きました A 樟葉を出て、BC京街道の道標を見て D戊辰戦争の樟葉砲台跡に立ち寄り、 橋本駅にあるE橋本渡船場跡(淀川の渡し・対岸は水無瀬)を見て 駅近くのF旧街道沿いの家並み、橋本駅付近の GH 道標を過ぎ 八幡からI 御幸橋を渡り(御幸橋はつけ替り、4車線になっています、旧橋は撤去されています)、 J京阪の淀車庫横を通って、K美豆城跡( 室町時代) に立ち寄り 淀駅近くの納所近くのL淀小橋旧跡を過ぎ、競馬場の駐車場近くのM戊辰役戦跡を見て 鳥羽・伏見の戦い(1868年)は、戊辰戦争の緒戦となった戦 京街道地図 N宇治川沿いに歩き、伏見の三栖閘門(みすのこうもん)[宇治川と濠川との水位の違いを解消し、 船の通行ができるようにした]の横を通って、京阪中書島駅に出ました 宇治川の堤防は、寒かったな   
水無瀬ー西国街道 2012年3月1日 先日、淀川左岸・宇治川右岸の京街道を歩きましたので、 今日は、淀川右岸から山沿いを通り桂川へ、旧西国街道を歩きました 阪急水無瀬で降り、淀川の方に歩き、B高浜砲台を見ました ここから、ゴルフ場伝いに北に歩き 渡し跡があるはずですが、ゴルフ場と公園設置工事のため 見当たりませんでした C対岸は橋本になります(橋本には、渡し跡がありました) 水無瀬川とR171の角にある、D水無瀬神宮の道標を見て 離宮八幡の横へ、大阪府と京都府の境にあるE国境の碑と横にある 三笑亭を見て、F離宮八幡(製油発祥の地)へ ここから、旧西国街道を歩きます G山崎聖天を下から見上げて、H久我の碑(地蔵は道標)を過ぎ 円明寺団地の入り口に、西国街道を走る I?ミニバスを見つけました (長岡に住んでいる頃は普通サイズのバスだったのですが) 八角では第2外環状道路の建設状況を見て、進むとK道標があります また、道路案内標識もあります JRの跨線橋手前にM道標、長岡京駅近くにN新しい道標 どんどん行くと、O神足村道路元標があります もう少し進んで、バス道に出るとP新しい道標があります 小畑川の一文橋には、Q一文銭のレリーフ(通行料一文)があります 近くにR道標、どんどん進むと、S向日神社があります 少し進んで競輪場の角にS向日町道路元票と須田家住宅があります ここをななめに進むとT新しい道標があり、 阪急の駅近くにU寺戸道標があります、向日市駅近くにV常夜灯があり 阪急の踏切をっ渡って、JR向日町駅を北に行くとW地下道があります ここから、東に進んで、R171を渡り、東に進むと桂川の堤防に出ます 少し北に進むと、X道標があり、久世橋が近くです 橋のたもとには、いづみ屋(遊船料理屋)があり R171を渡ってバスで帰ってきました 西国街道には新しい道標が多いのにびっくりしました 西国街道のうち、京都の東寺から、久世橋はすでに歩いています(??2012年01月19日?)
宇治街道(近鉄大久保ー京阪墨染)2012年09月16日 旧街道の宇治街道を歩いてきました これまでも、宇治からは歩いたことがありますが 大久保からは初めてです 宇治街道には、多くの道標があります B:左奈良道、京道、うぢ道 H:道路 原標?(明治なってからのものです) K:地蔵宿  六地蔵宿立場高札場跡 L:醍醐一言寺之より十七丁( 一言寺?:2011年09月10日奈良街道1) M:右京みち、左うじみち N:八科峠(やつしなとうげ) みぎ京みち、左ろくじぞう  車石 今日も暑い日でしたので、 墨染街道の八科峠の上り(標高差80m)は終盤で、きつかった 近鉄伏見駅で、水を買って、あっという間に飲んでしまった (歩行中は300mlの水2本持ち歩いてましたが、まるでお湯)
山科本願寺(土塁跡)−大石神社ー大石街道 2012年05月03日 山科にある、山科本願寺の土塁跡を見てきました、 さらに、大石神社から大石街道を北上してきました まず行ったのは本願寺山科別院 ここから西にある、山科中央公園に行き 山科本願寺の土塁跡を見てきました 次に南に新幹線を越えて、 山科本願寺土塁跡南西角にある案内板を見てきました (山科本願寺は、蓮如が、本願寺再興のため、建設を開始したもので  本願寺は御本寺、内寺内、外寺内の3つの郭があり、  郭と外周は、土塁と濠により、分けられていたそうである) こから大石神社を目指します 大石神社の南側にある、 山科神社と岩屋寺(大石の閑居先)にお参りした後 大石神社(四十七義士命を祀る神社)にお参りしてきました (大石神社は赤穂にもあります) (閑居先から一力亭に至る道の一部を、「大石道(大石街道)」と呼んでいます) この街道を、三条通り(旧国道1号線)まで北上し、 御陵から地下鉄で帰ってきました 大石神社から北東方向に醍醐道がありますが ここの峠に内蔵助一服の石があります 内蔵助は、どの道を通って一力に通ったのか?? 今日の歩行は、9.9Km 1時間58分 11,366歩でした 地図上の緑色の丸が山科本願寺跡(?山科中央公園?) 左下部分が、大石神社 (スマフォのログです)
山崎から桂まで2012年04月01日 山崎から桂まで旧跡を巡ってきました? 淀川の渡しは、3月1日に行ったときは、下調べが不十分で見つかりませんでしたので、 今回は下調べを十分にして行ってきました 阪急水無瀬から、水無瀬川が淀川に合流するところにある、 石段が山崎の渡しに行く階段だったそうです(3月1日に行っています) このまま、淀川の河川敷を菜の花を見ながら歩いて、 大山崎IC近くの桂川河川敷公園の駐車場にある狐の渡しの看板を見てきました ここから、小泉川を土手沿いに上がっていくと、 天王山に、旗立松(山崎合戦の時、秀吉が味方の士気を高めるため 老松の樹上高く千成ひょうたんの旗印を掲げた所)近くにある石の鳥居が見えます 名神高速道路をくぐって、 大山崎中学(高速道路工事のため建て替え)にある山崎古戦場跡の石碑を見てきました その後、サントリービール工場横にある光秀本陣跡の看板を見た後、 恵解山古墳を見て、? 明智光秀の娘?である細川ガラシャが住んでいた勝龍寺城を見て、 西国街道を北に進み、向日神社にお参りした後、 長岡京の大極殿等の跡地を見て、 物集女(もずめ)街道を北に進み、物集女車塚古墳の横を通り、 ?淳和天皇火葬所にお参りし、 物集女城の跡を見て、阪急桂川駅から帰ってきました 物集とは河内国大鳥郡の百舌鳥(もず)に勢力をもっていた一族が、この地に移り住んだことによるそうです
鞍馬街道(京都精華大ー上善寺ー自宅)2012年10月16日 鞍馬街道の南側を歩いてきました 京都精華大学から北はすでに歩いています 叡電の京都精華大学前から (円通寺を通る切通道と、バス道の東街道があります) 東街道にある専修寺近くの栗栖野瓦窯跡を見に行きましたが 調査不足で、見つかりませんでした ここから円通寺まで行き、切通道を下って、 深泥池経由で、北大路通りへ 下鴨中通りに入ったところにある 二本松の碑を見て、一本松の碑を探しましたが、 見つかりませんでした ここから、鞍馬口通りを西に行き、 上善寺(六地蔵の一つで鞍馬口にある) ここから、南に下がって、相国寺、京都御苑を歩いて帰ってきました
水無瀬ー西国街道(山崎・久世橋)2012年03月01日 先日、淀川左岸・宇治川右岸の京街道を歩きましたので、 今日は、淀川右岸から山沿いを通り桂川へ、旧西国街道を歩きました 阪急水無瀬で降り、淀川の方に歩き、B高浜砲台を見ました ここから、ゴルフ場伝いに北に歩き 渡し跡があるはずですが、ゴルフ場と公園設置工事のため 見当たりませんでした C対岸は橋本になります(橋本には、渡し跡がありました) 水無瀬川とR171の角にある、D水無瀬神宮の道標を見て 離宮八幡の横へ、大阪府と京都府の境にあるE国境の碑と横にある 三笑亭を見て、F離宮八幡(製油発祥の地)へ ここから、旧西国街道を歩きます G山崎聖天を下から見上げて、H久我の碑(地蔵は道標)を過ぎ 円明寺団地の入り口に、西国街道を走る I?ミニバスを見つけました (長岡に住んでいる頃は普通サイズのバスだったのですが) 八角では第2外環状道路の建設状況を見て、進むとK道標があります また、道路案内標識もあります JRの跨線橋手前にM道標、長岡京駅近くにN新しい道標 どんどん行くと、O神足村道路元標があります もう少し進んで、バス道に出るとP新しい道標があります 小畑川の一文橋には、Q一文銭のレリーフ(通行料一文)があります 近くにR道標、どんどん進むと、S向日神社があります 少し進んで競輪場の角にS向日町道路元票と須田家住宅があります ここをななめに進むとT新しい道標があり、 阪急の駅近くにU寺戸道標があります、向日市駅近くにV常夜灯があり 阪急の踏切をっ渡って、JR向日町駅を北に行くとW地下道があります ここから、東に進んで、R171を渡り、東に進むと桂川の堤防に出ます 少し北に進むと、X道標があり、久世橋が近くです 橋のたもとには、いづみ屋(遊船料理屋)があり R171を渡ってバスで帰ってきました 西国街道には新しい道標が多いのにびっくりしました 西国街道のうち、京都の東寺から、久世橋はすでに歩いています(??2012年01月19日?)
旧西国街道 2012年01月19日 桂に用事があったので、旧西国街道を歩いてきました 西国街道は東寺から始まりますが、 御前通りのJR南に「西寺」の寺号のみを継いだ 小いさな寺院があるので、見てきました このまま御前通りを九条通りまで行き ここから、旧西国街道の細い道に入ります 途中、西川石材店が建てた、「旧西国街道」の道標があります 続いいて、日向き地蔵があり、このあたりに茶店があったらしい 久世橋を渡り、西国街道から離れて、洛西口方向に進んだ 左の地図は旧西国街道です
太閤道 2012年03月20日 太閤道は5回〜6回ぐらい歩いています(高槻からと島本町から) 今日は、高槻駅から、磐手橋まで平地を歩き、 磐手橋 近くで、右柳谷の道標を見つけました、 磐手橋から上り坂です 一昨日までの雨で、道はぬかるんでいました 途中、案内表示と「*丁」いう距離表示がありました 金竜寺跡まで来ると、登りは楽になります やがて、展望が開ける場所があり、樟葉方面や大阪方面が見渡せます さらに進むと、若山三角点(標高315.5m)があり、近くから、八幡の男山方面が見渡せます ここからは、ゴルフ場の周りをまわっていきます、 ゴルフ場と別れると、階段(歩きやすくするための木製)が続き、 若山神社に着きます、若山神社は標高130mぐらいあります、ここから、石段と坂道が続き 名神沿いに山崎方面に歩きました
千代の古道 2011年08月28日,2013年9月7日 千代の古道(ちよのふるみち)の道標を訪ねて歩いてきました 千代の古道は、平安時代の貴族が北嵯峨に遊行のときに通った道です 道筋は地元自称など諸説があり、定かではないそうです 嵯峨野小学校あたりは、「嵯峨野千代の道町」です 道標は新しく作られたものです     
明智越え 2014年11月23日
(10年ほど前に、保津峡から亀岡に行きました) 今回は、亀岡から保津峡へ 再三、沈下橋を通るのですが、保津峡下りの船に会いませんでした 休みの天候の良い日を選んだのですが、途中一人の若い人に追い越されたのと、 グループ4人組に出くわしただけで 標高差300m以上あり、結構登山的なハイキングでした 明智越えdata 最後の分岐で、2方向に分かれていたのを右に行ったのでですが 左の道を取ればよかった(案内は2方向) 無事保津峡にたどり着きました
伏見街道 2015年03月22日 伏見桃山から五条通まで  
山陰道・老ノ坂峠越 2015年12月13日 自宅から歩いて、JR丹波口近くの公園に9時に集合 ここから桂坂公園まで、11.7Km(2時間40分)標高差100m少し 昼食の後、旧山陰道(9号線の横)を通って、 平安時代に源頼光等によって征伐された 酒呑童子の首が埋められた場所として伝えられている 首塚大明神へ ここから老い坂トンネル(旧)を通って、亀岡側へ
鴨川・牛馬用下り坂 2017年8月29日 鴨川を渡る橋は、牛馬が重い荷物を曳いて渡ると 橋が傷むため、また橋の幅が狭いため 牛馬は鴨川の側道を降りて、 川を歩いて渡っていました この川に降りる道が、滋賀越道の荒神橋と三条大橋に残っています
旧東海道(追分ー三条大橋)2018年3月15日 旧東海道を京都市の西・大津市の追分から 旧東海道を京都の蹴上まで ここから、都ホテルの南側に回って(都ホテルで東海道が分断された) 粟田神社の前から、粟田口の前を通って、三条大橋へ  

竹田街道(中書島ー五条東洞院)2018年10月25日 竹田街道を中書島から五条東洞院まで
京町通・師団街道2019年3月19日 竹田街道を中書島から五条東洞院まで
軍人湯 伏見街道から少し入った処・名神の南


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